私が就職したのは、今からちょうど12年前の私が23歳の時です。(浪人したので・・・)就職氷河期だったのか、なかなか就職先が決まらず、30社ほど就職試験を受けましたが、受かったのは1社のみでした。
今は売り手市場ですが、その当時は買い手市場で各企業もかなり上から目線でしたね。ろくでもない面接官もいましたが、それについてはまたの機会に書こうと思います。今回は、学生時代に唯一、採用試験で合格した会社について書いていきます。
1.洗車のケミカルメーカー
私が最初に就職したのは、洗車のケミカルを製造・販売、そして洗車ショップを経営している会社でした。その当時は、30名ほどの中小企業でした。この会社の柱は、ケミカルの販売、洗車ショップのフランチャイズ展開でした。
洗車ショップは、直営店とFC店があり、この会社に入社するとまずは洗車ショップで洗車技術やショップ経営の勉強から始まります。つまり勤務場所は、洗車ショップということですね。
2.嫌な上司の出現
洗車ショップに配属されたわけですが、そnショップには、マネージャー、チーフ、私以外の社員、アルバイトという構成で全部で9人ほどでした。この中でチーフの存在がすごい嫌でしたね。最初から私のことを敵視しているという感じで。
というのもこの会社で大卒を採用したのは、私が初めてだったんです。このチーフは高卒なんですが、事あるごとに「大卒だったらこれくらいできるでしょ?」みたいなことを言うんです。私自身、大卒だの高卒だの意識したことはないんですが、このチーフはやたらに意識してきましたね。
3.地獄の研修
洗車ショップに配属されてからこの嫌なチーフの研修が始まりました。声出しやら洗車の技術やらトイレ掃除やら、めちゃくちゃ厳しかったです。声出しは、喉から血がでるまでやらされました。
今現在、私も会社では後輩の面倒をみる立場ではありますが、このチーフのやっていたことは、厳しさではなくいじめだったんじゃないかなぁって思います。
4.勤務時間が長い
嫌なチーフからの嫌がらせを受けるだけでも耐えがたいのに勤務体制も無茶苦茶でしたね。朝の7時から夜8時まで働くことは、普通にありましたし、月の休みが2日しかないことだってありました。今の時代では考えられないですが、ルールがあってないようなもんだったんですね。
あんまり覚えていないですが、結構、やせたと思います。
5.一年耐えたが・・・
きつい研修やハードな勤務体制でしたが、仕事自体は面白くてやりがいもありました。嫌なチーフはいましたが、仲間もいましたので、何とか頑張っていたのですが、どうしてもチーフと同じ職場で働くということに対して、我慢ができなくなり、就職して一年でこの会社を辞めることになりました。もう逃げだすような感じでしたね。
6.私が会社を辞めたあと
私が会社を辞めた何年後かそのチーフも会社を辞めたそうです。どういう理由で辞めたのかは分かりませんが、誰かと揉めたのかもしれないですね。
というか、私がその会社で働いていた時にいた同僚は、ほとんど辞めていったようですね。
7.その後の会社
私が最初に働いたこの会社ですが、今では、株式を上場する会社へと成長しました。今考えてみるとこの会社の社長は上場することを目標としており、私が働いていた時は、上場するために色々な部分で無理をしていたのかもしれません。それがブラック企業の内容になっていたのだと思います。
この会社で現在、働いている方は、過去にこういうブラックな一面があったことを知らないでしょう。
8.現在、ブラック企業で働いている方へ
我慢することや努力することは、社会で生きていくためには必要だと思います。でも毎日、苦痛に感じることが起きているのであれば、積極的に会社を辞めても良いと思います。私も結局3回転職して、現在の会社に落ち着きましたが、会社を辞めることは悪ではないですよ。
会社を辞めるというのは、サラリーマンに与えられている権利です。
あなたに合った会社があるかもしれません。毎日、我慢しているのであれば、会社を辞めるという選択肢も持っていてはいかがでしょうか。